ジョン•ケージの4分33秒は、当時の人たちにとっては衝撃だった。

でも昔から、音楽の中では、休符も音楽の一部だったはず。

ここから二つのことが言える。
①当たり前のことも、少し状況を変えるだけで衝撃を与えられる
②当たり前のことをひっくり返してみると衝撃を与えられる(音楽は音が鳴るものというアタリマエ)

同じ事象を例にとってるけど、ひとつは当たり前自身を変えて、もうひとつは当たり前の周りを変えている。
どこに目を付けるかで得られる結論は異なる。
人の話を聞くにしても、本を読むにしても、いろんな視点から批判して、より質の高い情報収集ができると良いよね。

なんでこんな話を突然したんだ。

何かについて語れる、って実はすごいことだと思う。
この二日、何かについて語る人を二人見た。どんなことでも小一時間語れるようになったら、それについてものすごい執着しているってことだし、それについてかなり調べているということだと思う。
それぞれの人が色々な出来事に出会い、色々な人に出会っていて、その中で何かに憤ってそれを覆すべく日々努力してる。
私は何に憤ってるんだ?そこまでの労力をつぎ込めるのか。

醜いアヒルだって自覚して努力したら、いつか白鳥になれるのかな。